
鉄骨柱と壁の亀裂
しんそう越後十日町
村山 博一

平成16年からの3年間というものは、みなさんにとっても大変な3年間だったと思います。
平成16年10月23日(土)午後5時56分頃、
新潟県中越地方でマグニチュード6.8 深さ13kmで直下型地震が発生。川口町では最大震度7を観測。
正式名称:新潟県中越大震災
2回目午後6時11分頃マグニチュード6.0の大きな地震。
3回目午後6時34分頃マグニチュード6.5の地震により、十日町市は最大震度6強を観測。
被災された多くの方が自宅を飛び出し、近くの避難所に向かわれました。
その夜はとても寒く、朝方には霜が降りていたのを憶えています。
それから1ヶ月間は余震のせいか、からだが安定せずにいつも揺れた状態でした。

年が開けた平成17年、今度は19年ぶりの大雪が被災地を苦しめました。
1時間に10センチもの雪が「降る」ではなく、「積もる。」
まさにこの辺で言うところの「きびわりい」(気味が悪い)
軽く3メートルを越えてしまった。一体何回「雪下ろし」から「雪掘り」をしただろう。
それを仕事の合間にやっていことがあり、戻ってからも手が震えて困ったもんです。
あっ、もちろん「しんそう」を受けに来られた方に対しては最善を尽くしました。
それが出来るのも「しんそう」には力が要らないんです。
だから女性の先生方が大勢いて、凄い症例結果を生んでいます。
その年の12月、早くも大雪がまたやってきました。
年が開け、隣の津南町では4メートル近い積雪となり、主要道路の閉鎖など甚大な被害がでました。
同じ津南町でこちらに来ている方の所は、積雪が4メートルをはるかに越えていたそうです。
2年続きの大雪には自衛隊の方たちや多くのボランティアの方々に慣れない雪かきをしていただきました。
一人暮らしの高齢者をはじめ、お世話になった多くの住民が感謝したことと思います。
今でも私も感謝の気持ちで一杯です。それは、やはり中越地震。
灯りひとつない真っ暗なグラウンドに着の身着のまま逃げてきた人たち。
余震が続く中、家から防寒着や毛布、みんなが座れるようにブルーシートを持ってきてくれた人。
自家発電用のライトを照らしてくれた業者の方。
そのうち上空に轟音を立てながらヘリコプターが何機も集まってくる中、ラジオからは続々と被災状況が・・・・
家屋の倒壊により子供たちが下敷きに・・・・・、道路の崩壊により車が数台巻き込まれた模様、安否は不明。
関越高速道路の寸断、新幹線の脱線、各道路の陥没や欠落により自分たちが孤立状態にあること。
「これからどうなってしまうのか?」
映画やテレビの世界がそのまま自分たちの目の前で起きていることに不安だけでした。
その後、余りの寒さにそれぞれが車に避難し、暖房をつけたままラジオから流れる被災情報の中で
以前うちに来られた女性が「道路が寸断され、長岡から帰れないけど大丈夫」と家族に宛てた
メッセージなどを聞きながら、ラジオって普段余り聞かなかったけれど本当に助かるなあと感じました。
中には1歳くらいの赤ちゃんが逃げる際ショック状態となり、真っ暗な病院に運ばれ車のライトに照らされながらの
救命処置の甲斐なく亡くなったことを知りました。今でもこのを話したり今こうして打ち込んでいるだけでも悲しくなります。
ラジオを聴きながら、4〜5日車の中で寝泊りした生活が続いたでしょうか。
十日町に限らず多くの被災地で今も地震によることが原因で亡くなった方がいます。
先月の1月17日には阪神淡路大震災の追悼行事が行われ、12年経った今もなお震災による心労や病気が一因となり
亡くなった方がいるそうです。それくらいあの時のことは、みなさんの心の中に深い傷を刻み込んでしっまたようです。
「しんそう」を受けに来られた多くの方は、今でも「あの時からからだが・・・」という方が非常に多いのです。
けれど悲しいことばかりではありません。
豪雪同様、たくさんの人たちに助けていただきました。
人を救えるのは、やはり人の手でした。
未明には早速長野県から給水車が駆けつけてくれたり、心強い自衛隊から各都道府県の警察署や消防署の方々。
その中には鹿児島県からも・・・。頼もしい、「人って凄い!」驚きと感動です。
それから各種団体から個人の方からもたくさんの救援物資も届けていただきました。
そのほか私がまだ知らない多くの方々のお世話になったことだと思います。
この場を借りて心より感謝の気持ちを言いたいと思います。
本当に助かりました。ありがとうございます。
個人的には近くの親戚の人から差し入れや、家の片付けを手伝ってもらい助かりました。
大きく成長した従兄弟にも・・・・・、たくましく見えました。
そして隣接する津南町から、家屋の被害は少ないとは言いつつ自らも被災したにもかかわらず、27日・28日と
二日間にわたり炊き出しをしてくださった○○園芸のみなさんより500食分ものなめこ汁や豚汁に、
からだも心も救われた気がしました。・・・・そして、何より人のありがたさを感じました。
友達も埼玉から駆けつけてくれました。水が出ないからってタンク一杯に運んできてくれました。
たくさんの協力を得て、大変な思いをしながらみんな頑張りました。
家も大きく壊れたところがあり、修復せざるを得ない状況となり、昨年春から2ヶ月以上かけて直していただきました。
それも叔父さんにあたる大工さん指揮の元、津南町精鋭の業者さんから施工していただき、こちらの細かい注文にも
応えていただいた上、費用の方もかなり勉強してもらいました。
もちろん「しんそう」の母体である「しんそう調整医学会」からも応援の声にメッセージ、そして多くの支援を頂きました。
多くのボランティアがそれぞれ特性を生かして全国から集まっている中、「何か出来るのではないか」ということで、
わざわざ関東方面、遠くは静岡の先生方が駆けつけてくれました。
いずれも短い時間ではありましたが、狭くて息苦しい避難所に喜びと笑い声が響きました。
他には出来ない、役に立てる技を持っていることに巡りめぐって「しんそう」を選んでよかったと感じた瞬間です。
今回に限らずたくさんのお世話になって今があります。
今、当時に比べて周りは家の解体もほぼ終わり地震の影が薄くはなりましたが、からだに残る深い心の傷は
みんなが癒えていないようです。その上2年続きの大雪で、各家庭の経営も圧迫してしまいました。
さらに今年は記録的な小雪に、雪下ろしをする立場としてはとても楽なのですが、自然を相手に仕事をされている方に
とってはとても深刻な状況だと聞きます。たくさん降れば困るし、少なければ少ないでいろんな所に影響が出てきます。
自然の恩恵を受けながら自然を相手にしている雪国にとっては、この「地球温暖化」は直接家計へと響いてきます。
こんなにすごい「しんそう」を受けたくても我慢せざるを得ない状況にいる人のことも知りました。
「痛みは取れたから・・・」と、あと少しなおした方がもっと元気になれるのになあと思うことが多々あります。
本当に私もたくさんの人々に助けられました・・・・・。
だから私も、地域のために・・・・・「しんそう」で健康を取り戻していただきたいと願っております。
被災地で誰もがより「しんそう」を受けやすい状況にすること。
前置きが長くなりましたが、調整料をワンコイン 500円下げることにしました。
大人 4,000円 が → 3,500円
小人 3,000円 が → 2,500円 になります。
回数券(5回分)はそれぞれ
大人 18,000円 が → 15,000円
小人 13,000円 が → 10,000円 となります。
期間は平成19年2月5日から、しばらくの間。
料金的に大したことは出来ませんが、
その分「しんそう」をもって、今以上に皆さんの健康を取り戻すため応えていきたいと思います。
平成19年2月吉日
新潟県十日町市妻有町西2−2−3
ロイヤルプラザ 2F−奥
しんそう越後十日町・・・


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